エヴァンゲリオンの世界観

人類。脆く弱いモノで心と体ができている。 

f:id:karisomenohate:20190715231218p:plain

アニメ【エヴァンゲリオン】は、人の心の感情の描写が 他のアニメの追随を許さないほどに繊細で丁寧に描かれている。エヴァは いろいろな人がいろいろな角度から解釈や考察をしているが、それだけ人によって受け取り方も違うのだろう。

 

エヴァは特に個人の心理描写に特出している。これほどまで個人の心理描写を繊細に表現しているものは他には知らない。エヴァは 登場人物のそれぞれが、個人として立っているイメージだ。

 

14才の揺れる心を描いているだけといえばそれまでだけど、社会現象をおこすまでに人気があるのは、誰の心の中にでもある無意識の何かに訴えかけるものがあるんだろう。ストーリー的には宗教色が強いので 1度見ただけでは理解できないという人も多いだろう。

 

エヴァは一言ではとても語れないので、ここではテレビシリーズの最後があまりにも分かりにくいという意見が多く、表現の仕方を変えて映画化されたけど、まあ言わんとしていることは同じだと感じたので, そこのところを少しばかり思うところを書いておこうと思う。

 

テレビシリーズ最終話「世界の中でアイを叫んだもの」の解説には こう書いてある。

人類。脆く弱いモノで心と体ができている。この世界で最も脆弱な生物。自分はたった一人しかいないのに、人は一人では生きられない。だから、寂しい。だから、辛い。だから、補完されねばならない。人々がひとつになりゆく世界で、シンジの苦悩は続く。問いかけと回答。更なる問いかけ。不安と絶望。疑問と葛藤。光明は遠く、心の痛みは深い。彼は何を求めて、何を願うのか。不安と寂しさの解消。そして、自らの存在価値。自分とは何なのか。変わらねばならぬのは、世界ではなく、自分自身なのか。

 


人の形がなくなっていき L.C.Lに溶けていく。

これは、ユング心理学でいう 集合的無意識(普遍的無意識)が一番近いと思う。ユングは、個人的な無意識にとどまらず、個人を超え人類に共通しているとされる集合的無意識(普遍的無意識)がある、と言っている。

 

今流行のスピリチュアルな言い方をすれば すべてはひとつで繋がっている、ってことかな。これは、意識が認識していようが認識していなかろうが、無意識部分ではすべてがつながっている、という考え方だ。つまり、簡単に言えば 自分の中にはすべてがある、という考え方になる。

 

例えてみるとコンピューターが分かりやすいかな。コンピューターは さまざまなプログラミングがされているけど、自分が使うときにはすべてのプログラムを一度に使うことはできない。目に見えるのは、液晶部分に表示されているものだけだ。タブをいくつ出していようと全部一度に見ることはできない。

 

このとき、液晶部分に見えているものが、一人の人だと考えてみるとわかりやすい。タブは、その人が楽しいと感じるタブ、悲しいと感じるタブ、怒ったときに感じるタブだと想像してみれば、感情が揺さぶられたときに、それぞれのタブが液晶画面に出る、って感じがわかりやすいと思う。

 

コンピューターのプログラミングのように すべての人には同じプロブラミングがされていて、それは無意識の奥深くにしまわれているとしたら、なんとなくつじつまが合う。

 

L.C.Lが 集合的無意識(普遍的無意識)だとしたら、人の形が解けていき今までの観念さえも溶けていったら、無意識の奥深くにプログラミングされていたものに触れることになる。そこに触れれば 今まで自分の中にあっても 自分自身が全く知らなかった世界を見ることになる。

 

そこに気付いたときに 頭でで考える思考ではなく、ハートや感覚で何かが腑に落ちる、ってことなんだろう。腑に落ちるから、自分自身を認めることができ、素直にありがとう、という言葉になり、これが、シンジが言う ボクの中のアスカ、ボクの中の綾波、ボクの中のミサトさん、ってことになるんだと思う。

 

こんな風に考えてみると、エヴァって「てっつがくぅ」←これTVシリーズ第拾壱話「静止した時の中で」レイの言葉を受けてのアスカのセリフ。エヴァの受け取り方や感じ方は人それぞれだけど、何が正解かってのはないんだと思うけど、こんな風に考えてみるのも面白い。

 

マンガ ユング心理学入門―心のタイプ論、夢分析から宗教、錬金術まで (ブルーバックス)