エヴァを心理的視点や宗教的視点から多角的に考察してみる

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なぜ多くの人が、エヴァンゲリオンは心理学?と言うのか。

 

 

エヴァンゲリオンが「心理学?」と言われる由縁

 

人は誰でも多かれ少なかれ悩みを持っているし、今のこの社会で生きづらさを感じている人も多いだろう。悩みも無くなり、生きづらさも解消されたら、生きていくのがどんなにか楽になるだろう。

 

なぜこんなに悩むのか、なぜこんなに生きづらいのか、その答えが見つかればもっと楽になるはず。だがその答えは、原因を突き止めなければ解消されない。対症療法的に慣れていく方法もあり、この方法は人によっては有効だろう。ただこの方法の場合、根本原因は解消されない。

 

エヴァンゲリオンのシンジやアスカは、自分の置かれた環境に翻弄され、葛藤し、何とかしようとあがいている姿が描かれている。それはシンジやアスカに限らず、誰でも多かれ少なかれもっているものだろう。

 

自己肯定感が極めて低いシンジは、自分はいらない人間だと思いながらも、無意識に自分を捨てた父親を求めている。アスカも自身のトラウマから、自分は独りぼっちだと思っていて、涙ぐましい努力で承認欲求を満たそうとする。

 

ではなぜ、シンジがそれほど自己肯定感が低いのか?アスカはなぜそれほどまでに努力して承認欲求を満たそうとするのか?そこには自己肯定が出来なくなった原因があるし、承認欲求を満たそうとするのもそこに至る原因がある。

 

シンジやアスカの心理や無意識を読み解くことで、生きづらさの原因がわかったり、どこかで自分と重なる部分があったり、何か気づきがあったり、エヴァンゲリオンの登場人物を通して、今の時代の生きづらさの原因や、何かのヒントになれば幸いだと思う。

 

14歳の揺れる心を描いていると言われればそれまでだが、トラウマを抱えた子どもがどのような心理状態なのか、心理学的に解説しやすいことも、エヴァが心理学?といわれるひとつの要因だろう。

 

考えるだけで心の葛藤や苦悩が解決されれば、誰しも思い悩んだり苦しんだりすることはなくなるだろうが、ヒトというものはどうもそのようにはできていない。よほどのポジティブシンキングでも、心に抱えているものが何もないということはまずないだろう。表面上は何もないように見えても、その奥には何かがあり、その人を形作っている。

 

もちろんポジティブだけに焦点を合わせて、見たくないものをみないでやり過ごせるならいいが、なかなかそうはさせてくれないのが、ヒトの心というつかみどころのないもののなせるワザなんだろう。

 

そしてなによりも、テレビシリーズ(全26話)の最後が分かりにくいという意見が多いことから、いろいろな意見が飛び交うことになる。この最終話が、ユング心理学?と言われていたり、個人の主観による認識のずれと言われたりもする。

 

ユング心理学と言われれば、心理学を勉強したことがなければ???としかならないだろうし、個人の主観による認識のずれと言われても今一つピンとこなかったりする。ビジネスでは認識の共有とか言われたりしているが、これが個人になると?となってしまうのは、個人と個人のあいだではではビジネスのような明確な認識の共有は必要がないからだろう。このサイトでは、細かい心の動きや心理について考察している。

 

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エヴァンゲリオンが「宗教?」と言われる由縁

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Tree of Life

人は誰しも幸せになりたいという思いがある。

 

では幸せになるためにはどうすればいい?という問いの答えが、宗教にあると思っている人は多い。世界をみれば、日本のように無宗教的な国は少ない。「天の国」があると言われれば、そこに「希望」を見出し、幸せになりたいと思うのは人の心理だ。

 

日本人の宗教観は、一神教ではなく日本書紀や古事記から由来する神道の「八百万の神」が根本にあり、生活や文化に根付いたといわれているので、旧約聖書と聞いてもピンとくる人は少ないだろうが、世界の3大宗教と言われる、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は、旧約聖書「創世記」から派生している。

 

旧約聖書「創世記」から多くの宗教が派生していることから、それだけ多くの解釈が出来るということに他ならない。それゆえ、余計にそこに何か隠された真実があるのではないかという見方もできる。


エヴァンゲリオンは「創世記」とリンクするところが多いが、「創世記」自体「旧約聖書」の中の記述なのて余計に「宗教?」という固定観念になってしまうのではないかと思われる。

 

ただ「創世記」自体、元々は「神話」であり、その神話から「創世記」として「旧約聖書」の中に記述されたことは、いろいろな文献などからわかっている。

 

元々の「神話」自体は、だれが記述したものだかわかっていない。「神話」は読んで字のごとく「神の話」ということになるが、もうここまでくるとこの先はオカルトっぽくなってしまう。(オカルトとは、超自然の現象、神秘的現象、目に見えないこと、隠れて見えないことを意味する)

 

エヴァンゲリオンはストーリー的にも難解で、一度見ただけではなかなか理解できないという意見も多いし、特に「難解」というのは、宗教的要素や宗教的用語、シュチュエーションが数多く出できて伏線も多数存在する。そのためにいろいろな憶測が出来てしまうのは否めないし、「旧約聖書の創世記」というだけで「宗教」という見方もできるだろう。

 

エヴァンゲリオンと宗教の決定的な違いは、宗教には「教義」があるが、エヴァンゲリオンには「教義」がないということ

 

ただ、エヴァンゲリオンでこだわったと言われている「生命の樹」が数多く使われていることから、単純に誰でもが聞いたことがある宗教というよりは「密教」や「秘教」をヒントにしていることは間違いないだろう。

 

エヴァンゲリオンのストーリーは、旧約聖書の創世記とリンクしている部分があまりにも多く、それを抜きには語ることも難しい。「旧約聖書の創世記」の現代版解釈と捉えれば「宗教」とも言えるだろうし「創世記」を元々の「神話」としてみた場合「神話」の現代版解釈ともいえるだろう。

 

しいて言うなら、アスカが言っていた「てっつがくぅ~」というように「宗教」より「哲学」と捉えた方がわかりやすいのかもしれない。

 

「宗教」だと考えればそこに答えがあると思ってしまうが、「哲学」だと考えれば、そこに明確な答えはない。自分が正しいと思ったことが正解になる。人によって正解は違うことになるが、それはいろいろな宗派がある宗教も同じことだ。

 

エヴァンゲリオンがここまでいろいろ言われているのは、ストーリーの難解さもさることながら、そこに隠れた真実があるのではないかと、人の無意識が何かを求めて働くからなのかもしれない。

 

ここではそんなエヴァの気になるところを、旧約聖書や創世記と照らし合わせて考察している。