腑に落ちないシンジのココロはどこにも行けない


エヴァンゲリヲン新劇場版:序より

学校に行き シンジはトウジに殴られてしまう。

 

感じることが辛過ぎると、考えることさえしたくなくなる


トウジ

「すまんなぁ 転校生、ワシはお前を殴らにゃいかん。殴っとかな気が済まへんのや」

ケンスケ
「悪いね、この間の騒ぎでアイツの妹さん ケガしちゃってね。まっ、そういうことだから」

シンジ 
「ボクだって 乗りたくて乗ってるわけじゃないのに・・・」
シンジはトウジに逆らうこともしない。

シンジ 
「どこが人に褒められることなんだろう。エヴァに乗ってたっていうだけでなんで殴られるんだろう・・・」

腑に落ちないままのココロは感じることを放棄したように 淡々とエヴァに乗る訓練をする。

「目標をセンターに入れてスイッチ、目標をセンターに入れてスイッチ」ってね。

マヤ  
「しかし、よく乗る気になってくれましたね、シンジ君」

リツコ 
「人に言われたことにはおとなしく従う、それがあの子の処世術じゃないの」

 

トウジにしてみれば、妹がケガしたことへの怒りがシンジに向く。本当は妹がケガをしてしまったことに怒りを感じてるんだけど、その怒りをシンジに向けてしまう。

 

よくよく考えてみれば使徒を倒さなければ、妹はケガだけじゃ済まなかっただろう。自分たちの命だって危うい。

 

でもシンジが目の前にいれば その怒りはシンジに向く。怒りをシンジに向けて吐き出せば、自分の怒りも少し収まるから。

 

心や感覚にに蓋をし続けていると、自分の怒りも分からなくなったりする。

 

トウジは自分が怒っていることは認識している。自分の怒りを認識していても、怒りの捌け口とてシンジに怒りを向けている。


本当のことに蓋をし続けていると 自分の怒りも認識できなくなったり、人に当たったり、自分の子どもに当たったり、奥さんや旦那さんに当たったりしがちになったりする。

 

そして自分が何に対して怒っていることが分からないから、子どもが悪い、奥さんが悪い、旦那が悪い、という、いかにも正当な理由で、怒りを人にぶつけることになったりする。

 

怒りは出やすい感情だけど、意外と自分自身の怒りを認識している人は少ない。

 

誰もが聞いたことがあるだろう言葉。親が子どもに対して言ったりする。「なんで言うことが聞けないの! 言うことを聞かないのは悪い子よ!」親の言うとおりにするのがいい子なのか?


それって、実は自分の怒りを子どもに投げつけて、子どもを自分の思うとおりのお人形かロボットにしたいだけなんじゃないかとも思ったりする。

 

子どもが良くないことをしたと思うのであれば、なぜそれが良くないのか、子どもに分かるようにきちんと説明してあげればいいだけの話だ。優しく言えば子どもは聞く耳を持つ。何も怒る必要はない。

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腑に落ちなココロは感じることを放棄するようになる


怒りをぶつけられた方は たまらない。シンジにしても いくらミサトに「人に褒められることをしたのよ」と言われても、殴られたんじゃそんな風には思えないし、腑に落とせない。

 

トウジの心の動きを分かるはずもないシンジにとっては、いきなり殴られて訳も分からない。シンジ自身だってエヴァに乗りたくて乗ったわけじゃないから。

 

そんなシンジは 心や感覚を感じることを放棄したかのように淡々となる。


「目標をセンターに入れてスイッチ、目標をセンターに入れてスイッチ」ってね。シンジの心の内が分からないリツコは、人に言われたことにはおとなしく従うのがシンジの処世術だと思う。


シンジ自身は処世術でもなんでもない。エヴァに乗る意味も分からない。分からないのに乗らなければ、ゲンドウやミサトやリツコに認めてもらえない。

 

乗ったところでトウジに殴られる。心が納得出来る場所がどこにもないんだ。だから感じないようにするしかなかったんだろう。

 

頭で考えて理解できたかに思えても、心や感覚で感じないことにはシンジの心情を理解することは難しいかもしれない。

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