求めているのに逃げてしまうココロの不可解さとは。


エヴァンゲリヲン新劇場版:序より


ミサトとリツコの会話

 

 

ヤマアラシのジレンマ


リツコ 

「そういえばシンジ君、転校初日からクラスメートに殴られたそうじゃない。パイロットのセキュリティは大丈夫なの?」

ミサト
「諜報部の監視システムには問題はないわ。たいしたケガじゃないし、それに プライベートには極力干渉しない方がいいのよ」

リツコ 
「一緒に住んでるのに。彼のメンテナンスもあなたの仕事でしょ」
リツコらしい。シンジに対してメンテナンスという言葉を使ってる。人の心がそんなに簡単に癒されたら、世の中もっと平和だろう。

ミサト 
「だからこそよ。彼、思ったよりナイーブで難しい」

リツコ 
「もう泣き言? 自分から引き取るって大見得切ったんじゃない」

ミサト 
「うっさいわねぇ」

リツコ 
「そうね、確かにシンジくんて、どうも友達を作るのに不向きな性格かもしれないわね。 ヤマアラシのジレンマって知ってる?」

ミサト 
「ヤマアラシ?あのトゲトゲの?」

リツコ 
「ヤマアラシの場合、相手に自分のぬくもりを伝えたいと思っても 身を寄せれば寄せるほど体中のトゲでお互いを傷付けてしまう。人間にも同じことが言えるわ。今のシンジ君も心のどこかでその痛みにおびえて、臆病になってるんでしょうね」

ミサト 
「まっ、そのうち気付くわよ。大人になるってことは,近づいたり離れたりをくり返してお互いがあまり傷付かずに済む距離を見つけ出す、ってことに」

リツコ 
「そうなるといいわね」

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ヒトの無意識とは、自分自身でさえなかなか認識できないのかもしれない

 

相手ともっと近づきたい、だけど傷つきたくはない。自分も傷付きたくはないけれど、相手も傷つけたくはない。相手ともっと親密になることに 恐れを感じてしまう。相手によって微妙な距離感を保つことで お互いに傷つかなくて済む。


もともとは、深い関係を築いていく中で生まれるジレンマ、のことを言っていたようだけど最近は 深い関係を築く前の段階で感じるジレンマ、のことを指してしるようだ。


意識は近づきたい、親密になりたい、と思っていても、無意識では恐れを感じているのかもしれない。突き詰めていけば、今までどこかで、自分以外の人と近づいたときに思いもよらず傷付いた経験があるのかもしれない。


傷付いたり苦しい経験はもうイヤだ、とココロのどこかで感じていれば、意識していようが、していなかろうが、傷付きそうなことろからは、無意識に遠ざかってしまうのかもしれない。


自分自身の心の感情をよく分かっていれば、親密になりたいと思ったときに湧き上がってくる恐れを、どこから来るものか見つけ出すことも可能だろう。


ただ頭で考えているだけだと、答えを見つけ出すのは不可能だろう。頭で考える思考は、いかにも感情のように見せかけるのが得意だし、覚悟がないと思考は巧妙に腑に落とせたように見せてくる。頭で考え思考をグルグルとまわして、いかにも納得出来るような答えに導かれてしまう。


心が腑に落ちるのは理屈ではない何かなんだろう。ただ、分かる。こうだから、ああだから、という理由はない。もしこうだから、ああだから、という理由で納得するなら、それはココロじゃなくて思考の可能性が高い。

 「無意識」はすべてを知っている

 

大人になるにしたがって、合理的になる?

 

TVシリーズでのリツコの会話に

 

「ヤマアラシの場合 相手に自分のぬくもりを伝えたいと思っても、身を寄せれば寄せるほど体中のトゲでお互いを傷付けてしまう。人間にも同じことが言えるわ。今のシンジ君は心のどこかで痛みにおびえて臆病になってるんでしょうね」

 

リツコ自身 ゲンドウとの関係の中で ヤマアラシのジレンマを抱えているのかもしれない。

 

そしてミサトも


「大人になるってことは,近づいたり離れたりをくり返してお互いがあまり傷付かずに済む距離を見つけ出す」と言っている。

 

一般的には大人になるにしたがって 合理的な考え方になっていくんだろうと思う。誰だって傷付きたくないし つかず離れずの関係で上手く付き合っていくのが 大人の付き合いってものなのかもしれない。

 

・傷付くということは感情が揺さぶられるってことだ
・傷付きたくないってことは感情が揺さぶられるのがイヤだってことだ
・傷付きたくないと思えば益々自分自身の心の感情から遠ざかっていく
・傷付きたくなければ 大人の思考で回りにあわせ上手く生きていく術を学んでいく

 

誰でも傷付きたくはない。思考は 合理的に納得出来る方法を見つけるのが得意だ。傷付きたくないと思っていれば 無意識のうちに合理的思考が優位になる。思考優位になると 傷付くことが少なくなる代わりに ワクワクすることも少なくなる。

 

自分自身が 本当はどうしたいのか、分からなくなったりするかもしれない。そして人生こんなもんだ、と思って納得するようになったりする。子どもの頃のように 純粋に楽しむことが難しくなったりする。もう大人なんだからと納得するんだ。

 

思考優位になると自分がどう感じるかよりも 


・いい、悪い
・正しい、正しくない
・常識的、非常識

てなことで物事を判断することが多くなる。

 

自分自身の心の感情を見なければ、自分にとって何が心地いいか分からない。自分にとって何が心地いいか 何が心地悪いか悪いか分からなければ いい悪い、正しい正しくない、常識的非常識、ってなことで判断するしかなくなる。

 

好きなことをやろうとするのは いつ掴めるとも分からない夢を追いかけているだけで、そんなことに時間を費やすなら働いてお金を稼いだほうがいい、みんなそうしているからと思ったりする。

 

そして 世の中そんなに甘くないから自分の思う通りなんかに生きられるはずがない。みんな嫌なことも我慢して働いているんだから、と納得する。

 

周りから外れないように 頭で納得して 腑に落としてるだけかもしれない。

 

心で感じていれば ワクワクするかワクワクしないか、心躍るか心躍らないか、で判断できるが。

 

心が納得していないと 普通か普通じゃないか、常識的か非常識、で判断することになりがちで、無意識のうちに 不満や怒りを溜め込むことになる。

 

自分自身で心の感情を感じきっていれば 心は満足してお腹いっぱいになるから 自分自身を認められるんだけど、お腹いっぱいにならないと 満足することは出来ない。

 

自分自身で自分のことを認められないと それを他人に求めたくなる。存在意義を 他人に求めたりするようになる可能性が高い。

 

アスカにみたいに 頑張って自分が出来ることを 他人に承認してもらうことで やっと自分がここにいていいと思える。一般的には 存在意義を他人に依存している人がほとんどだろう。


驚くかもしれないけど この思考回路は高校を卒業するくらいにはほとんどが出来上がる。それだけ生育環境が影響するってことになる。

 

シンジにしても EVAには乗りたいわけじゃないのに 無意識の父親を求める気持ちや どこかで自分が認めてもらえる居場所がほしかったりするから。

 

自分自身でここにいていいんだ、ということを心から感じられないと 存在意義を自分以外に求めるようになる。どこにも存在意義を見いだせなかったら 自分なんてどうでもいいと思ってしまうし 生きている意味も見出せない。

 

エヴァに乗ったときの怖さも まともに感じていたら耐えられないから、訓練でも心に蓋をする。まともに感じていたら フラッシュバックでパニックになるかもしれないしね。どうにもならないシンジは状況に流されるままだ。


大人の合理的目線から見れば 処世術って言葉が一番しっくりくるんだろう。

自分を知る力