シンジとゲンドウ、埋まらない親子の溝


エヴァンゲリヲン新劇場版:序より


シンジはシンクロテストのときに 綾波とゲンドウが親しそうに話しているのを見てしまう。シンジにとっては とても不思議な光景だろう。


零号機が暴走したときに,ゲンドウが素手でハッチを開け,やけどしてまで綾波を助けたなんて信じがたいことなんだろう。

 

 

シンジには向けられたことのないゲンドウの優しさがそこにはあった

 

ミサトとリツコの間では
リツコ 
「どう? 彼との生活」

ミサト 
「まあね、少し慣れた」

リツコ 
「まだ緊張してんの? 男と暮らすの初めてじゃないでしょ」

ミサト 
「んふっ、8年前とは違うわよ。今度のは恋愛じゃないし」

リツコ 
「それはどうかしら、シンジ君 あなたがいるから残ったんじゃない?」

ミサト 
「違うわ。たぶんお父さんがいるからよ。お父さんに自分を見て知って,触れて, 一言でいい、褒めてほしいのよ。孤独を感じさせない愛情がほしいだけだと思う」

リツコ 
「父親との確執、ミサトと同じね」

ミサト 
「碇指令 どうして実の息子にあそこまで興味ないのかしら。レイとは話してるみたいなのに、バランス悪いわね」

リツコ 
「最近の男は すべからく自分にしか興味ないのよ」

ミサト 
「女にはつらい時代になったわね」

リツコ 
「さてと、時間だし戻らなくちゃ」

ミサト 
「相変わらず仕事の虫ねぇ」

 

シンジはゲンドウとほとんど話さない。話したくても話せないってのが現実だけど。ゲンドウはシンジと顔を合わせても,声をかけてくることもない。

 

シンジに対して声をかけることもしないゲンドウが、レイと親しげに話してるの見ちゃったらねぇ。


しかもあの感情を表に出すことがないだろうレイが、微笑んでいろところを見てしまって、ゲンドウも怖い顔してない。

 

シンジにとってはわけが分からいだろう。わけが分からないどころか、ますます自分は父親から必要とはされていない、と感じてしまうだろう。

 

しかも零号機が暴走したとき、ゲンドウが素手でハッチを開け、やけどしてまで綾波を助けたなんて、どうやったって想像もできないだろう。

 

シンジ自身は自分の目で、そんなゲンドウ一度も見たことないんだから。自分の知らない父親がそこにいる。


シンジにとっての父親は、母親が亡くなってから自分を他人に預けて捨てていった人だ。その父親とレイと話す父親は、同一人物とは思えなくて当然だろう。

 

自分は父親にエヴァに乗ることでしか必要とされないのに・・・話したくても話も出来ない・・・父親は自分と話をすることすら避けているのに、レイとは楽しそうに話している。

 

なぜ父親は、自分ではなくレイなのか・・・エヴァになんて乗りたくないのに、それ以外に父親に認めてもらう方法は分からない。心は彷徨い続ける。

 

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ゲンドウがレイの中にユイを見ているなんて知る由もないシンジは、承認欲求も満たされないまま、さらに孤独感がつのる

 

シンジ君、あなたがいるから残ったんじゃない?とリツコに聞かれたミサトは


「違うわ。たぶんお父さんがいるからよ。お父さんに自分を見て、知って、触れて、一言でいい褒めてほしいのよ。孤独を感じさせない愛情がほしいだけだと思う」
と答えている。


シンジとしては 誰とも繋がっていない、父親とさえ繋がっていない、そんな寂しさと孤独感でいっぱいなんだろう。自分が全くのひとりで 誰とも繋がっていない孤独とういのは,耐え難いものがあるんだと思う。

 

宇宙の中でたったひとり・・・こう思ってしまったら生きている意味さえ見出せないだろう。人はひとりでは生きられないから。

 

生きているという意味付けが必要だとは思わないが、誰かと繋がっていたり、誰かに必要とされていたり、誰かと親密だったっり、そんなことが何もなければ 自分が今ここにいる意味を見い出したくもなるだろう。

 

何か意味でもなければ、自分の存在意義がどこにもないように感じるから。

 

シンジはシンジ自身の経験の中でしかゲンドウを見ることが出来ない。これは誰にでも言えることだけど、人は自分が経験したことしか分からない。

 

想像力があれば想像することは出来るが、それはあくまで想像の域を出ないし、体験したことにはならない。


肉体をもって生きるということは、体験を経験したいのかもしれない。肉体を持つこと自体、全てが繋がっている状態では無理だろうし、肉体を持つことで分離の体験も出来る。

 

それは肉体だけでなく、頭と心という分離も含めてかもしれないが。

 

ゲンドウにしてみれば、レイにユイを重ねて見ているんだから、ご執心な感じになるのはうなづける。

 

ゲンドウのユイに対する執着も相当だし、ゲンドウにとっての人類補完計画は、科学者としてのゲンドウと、男としてのゲンドウのベクトルが完璧にひとつに重なり合って、揺らぐことがない。ここにはもうシンジが入り込む余地はないだろう。

 

承認欲求―「認められたい」をどう活かすか?

 

人生を貫くパターンは、子どものころに受けた影響を色濃く受ける

 

人というのは持って生まれた個性もあると思うけど、生れ落ちた環境で体験することに、非常に多大な影響を受ける。それはたぶん思っている以上かもしれない。

 

人生を貫くパターンには、子どもの頃の体験が色濃く影響される。それは本人が自覚していようといなかろうと、関係ない。

 

もし、父親や母親(他の人でもOK)と長時間一緒にいると、なぜかイライラするとか、なぜか疲れるとか、なぜか否定されているように感じると思うなら、そこには子どもの頃からのパターンがある可能性がある。

 

なんであなたは出来ないの、と子どもの頃からといわれ続けていたとしたらどうだろう。子どもにとっては、親から否定されたと思うだろう。

 

子どもは親から否定されたくない。だから一生懸命に頑張ったりする。頑張って出来るようになったとき、初めて親から認めてもらえたら、子どもはその後も、頑張って出来るようになることが大切だと思うようになるし、頑張らないと認めてもらえないと思うようになる。

 

大人になって誰かと長時間一緒にいたりすると、なぜかイライラするとか、なぜか疲れるとか、なぜか否定されているように感じると思うなら、それは子どもの頃のパターンをそのままにくり返している可能性が高い。

 

それは他でもない、自分自身の心の投影を見せられているんだ。子どもの頃に培ったプログラムは、無意識で知らないうちに外れる、ということはない。大人になっても、子どもの頃のままのプログラムがあるってこになる。

 

そのプログラムは頭で考えたり、思考でいくら考えをめぐらしても、書き換えることは出来ない。子どもの頃の心そのものをダイレクトに、大人になった体で子どもの心を感じないとプログラムの書き換えは出来ない。

 

ただここで問題なのは、大人になるにしたがって思考優位になってるっていうこと。思考はいかにも感じたように見せかけて、納得できるような答えを用意するから注意が必要だ。

 

頭でいくら考えをめぐらせても、心はお腹がいっぱいになって満足することはない。心がお腹いっぱいになって満足することで、はじめてプログラムは書き換えられる。

 

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