ミサトが信じたシンジ、泣きながら前へすすむ。

 

エヴァンゲリヲン新劇場版:序より


ヤシマ作戦、ラミエル戦の最中で。

 
やはり一発目は失敗に終わる。そこで挫けるかと思いきや・・・まあ挫けたら話は進まないけど。

 

 

トウジとケンスケの声に、シンジは自ら動きだす

 

ミサト 
「急いで初号機を狙撃ポイントに戻して。シンジ君!」

シンジはすぐには動けない。そこですかさずゲンドウだ。
ゲンドウ
「現時刻をもって初号機パイロットを更迭。狙撃主は零号機パイロットに担当させろ」

冬月 
「碇!」さすがの冬月先生も口を出す。

ゲンドウ
「使えなければ切り捨てるしかない」

ミサト 
「待ってください! 彼は逃げずにエヴァに乗りました。自らの意思で降りない限り彼に託すべきです!」

シンジはそのとき「シンジ、頼むで! 碇、頑張れよ!」というトウジとケンスケの声を聞いて、泣きながら動き始める。

ミサト 
「自分の子どもを信じてください。私も初号機パイロットを信じます」

ゲンドウ
「任せる、好きにしたまえ」

ミサト 
「ありがとうございます」

ミサト 
「シンジ君、今一度日本中のエネルギーと一緒に 私たちの願い、人類の未来、生き残ったすべての生物の命、あなたに預けるわ。頑張ってね」

シンジ 
「はい」
返事をしたときのシンジの顔はもう泣いていない。自分で決めている。

 

ラミエル戦で一発目を外したシンジは、ミサトに
「急いで初号機を狙撃ポイントに戻して。シンジ君!」
と言われてもすぐに動くことが出来ない。

 

そりゃそうだろう。

 

リツコから
「一撃で撃破することだけを考えなさい」
って言われてるんだから。

 

一撃で倒せなければピンチってことだ。まさしく今、ピンチってことになる。しかし、ここでゲンドウもシビアだ。

 

「現時刻をもって初号機パイロットを更迭。狙撃主は零号機パイロットに担当させろ」と言う。

 

私たちの行動を決めるもの

 

角度を変えてみれば、違うものが見えてくる

 

まあゲンドウにとっては目的を達成することが最低条件だから、仕方がないといえばそれまでだが。

 

目的達成というのは使徒殲滅で、ここで使徒を殲滅出来なかったら、ゲンドウにとっては計画が台無しになる。いつもは口を出さない冬月先生でさえ口を出す。

 

冬月先生も口を出さずにはいられなかったんだろう。でもやっぱりゲンドウはあくまでも冷静だ。

 

「使えなければ切り捨てるしかない」
とさらっと言ってのける。

 

ゲンドウはブレることがない。

 

冷たいという見方もあるけど、見る角度を変えれば、自分の決心が揺らぐことがないってのは、ある意味凄いことだ。

 

何事も角度を変えてみれば、違う見方が出来るってこになる。

 

基礎から学ぶ認知心理学――人間の認識の不思議 有斐閣ストゥディア

 

シンジの心に、トウジとケンスケの声がよみがえる

 

ミサトもだまっちゃいられない。
「待ってください! 彼は逃げずにエヴァに乗りました。自らの意思で降りない限り彼に託すべきです!」

 

まあ言いたい気持ちは分かるよね。

 

シンジは動けずにいたんだけど、そのとき留守番電話の声が蘇る。

 

「シンジ、頼むで!碇、頑張れよ!」
というトウジとケンスケの声だ。

 

その声を聞いたとき、シンジの何かに触れるものがあったんだろう。

 

今まで動けなかったのに泣きながら動き出す。心が何かを感じると、頭であーだこーだと考えることなく体は動き出す。

 

心で感じることで突き動かされる。

 

そこには、~だからとか ~するべきだとか、そんな理由や理屈は何もない。

 

理由や理屈で納得したいと思うのは、頭で考えることで心で感じることではない。心

 

で感じることに理由や理屈はない。心はただ感じるだけだ。

 

ミサトの
「自分の子どもを信じてください。私も初号機パイロットを信じます」
の言葉に、動き始めたシンジを見たゲンドウも
「任せる、好きにしたまえ」
と言う。

 

まあゲンドウにとっては 目的を達成できればいいわけだからね。ゲンドウはミサトにとって上司だから、ミサトも
「ありがとうございます」
と言うことを忘れない。


ミサトの
「シンジ君、今一度日本中のエネルギーと一緒に、私たちの願い、人類の未来、生き残ったすべての生物の命、あなたに預けるわ。頑張ってね」
の言葉に「はい」と返事をするシンジに もう迷いはない。

 

勇気を取り戻すために、今日からできる30のこと: アドラー心理学的アプローチ

 

人は心の底から何かを決めたときは、ブレることがない

 

心が感じて動くときは、理屈じゃない。誰に何を言われようと、心が動かないときは動かない。

 

頭で考えれば、トウジとケンスケの声に心が動かされた、ってことになるかもしれないけど、それは単にキッカケでしかない。

 

心が感じるということは、自分自身の中から湧き上がってくるものだ。もともとシンジの中に湧き上がってくる何かがなければ、心が動くことはない。

 

心が動いたときは、頭で考える暇もなく、もう心が決めてるってこと。

 

何かを決めるとき ~だから、とか ~した方がいいから、とそんな風に思うのは、心で感じていることではなく、ほとんどが思考だろう。

 

~だから、とか ~した方がいいから、と、思考で納得しようとしている可能性が高い。いかにも思考で納得して自分自身が決めた、と思えるから。

 

思考で納得して決めたことも、もちろん自分で決めたことなんだけど、上手くいかなくなったときに、愚痴や文句を言いたくなる。

 

いくら理屈や思考で納得して決めても、そこに心もないと、心は納得していないことになる。

 

どこかで納得できていなければ、愚痴や文句を言いたくなる。そして人のせいにしたくなる。

 

心が感じることには、価値判断も良いも悪いもない。

 

ただ感じるだけだから。心が動いて決めたことは、後から愚痴や文句は出ない。

 

だって心が納得しているんだから後悔はない。

 

たとえそれが失敗したとしてもね。

 

「第六感」で決めると、すべてに迷わなくなる!