自分自身の感情に無自覚なレイに、シンジの言葉が響く

 

エヴァンゲリヲン新劇場版:序より

 

ヤシマ作戦、ラミエル戦など


ラミエルがもう一度攻撃をしかけてきたとき、ミサトもシンジもヤバイ!と思うんだけど、シンジが気付けば、初号機の前に零号機が立ちはだかってレイが守ってくれていた。

 

ラミエルを倒した後、シンジは必死にレイを助ける。

 

 

感情がわからないレイでさえも、心は動くときがある

 

シンジ 
「綾波! 大丈夫か! 綾波! 綾波!」
このときレイが右手に持っていた ゲンドウのメガネが落ちる。

レイが目を開けると
シンジ 
「自分には他に何もないって そんなこと言うなよ。別れ際にさよならなんて 悲しいこと言うなよ」
安心したシンジはな泣いてしまう。

レイ  
「なんで・・泣いてるの? ごめんなさい、こういうときどんな顔すればいいのか分からないの」

シンジ 
「笑えばいいと思うよ」
シンジのその言葉に ハッとしたようにレイは笑う。

 

シンジにとっては、レイが身を挺して自分の前で攻撃を受け止めている。

 

ヤバイと思う気持ちもぶっ飛ぶくらいの驚きだっただろう。ラミエルを倒した後、そりゃあ必死にレイを助けにはしる。


「綾波! 大丈夫か! 綾波! 綾波!」
とシンジが叫んだときレイの手にあった言ゲンドウのメガネが落ちる。

 

レイは まるでシンジの呼びかけに呼応するように 手にしていたメガネが落ちた瞬間に目を開ける。

 

レイが生きていたことに安心し
「自分には他に何もないって そんなこと言うなよ。別れ際にさよならなんて 悲しいこと言うなよ」
ただただ素直にシンジの中から自然と出てきた言葉だ。

 

泣いているシンジを見て、レイは理解が出来ない。

 

一瞬キョトンとする感じだ。でもシンジの心からの言葉に何かを感じているんだ。

 

「なんで・・泣いてるの? ごめんなさい、こういうときどんな顔すればいいのか分からないの」と。

 

なんで・・泣いているの?の後に ごめんなさい、と言っている。

 

シンジがなぜ泣いているのか分からなくても、何かを感じている。だから、ごめんなさい、という言葉が出てきたんだ。


シンジに
「笑えばいいと思うよ」
と言われて、レイはハッとしたように微笑む。

 

レイにとっては何かは分からないけど、心に響くものがあったんだ。

レイが誰かに言われて笑うなんて、たぶん初めてだろう。

 

感動のメカニズム 心を動かすWork&Lifeのつくり方 (講談社現代新書)

 

何も考えずに素直に心から出た言葉は、ウソや偽りがない

 

心から素直に出てきた言葉にはウソがない。

 

これは頭で考えて出てきた言葉じゃないから。

 

シンジのレイに対する
「綾波! 大丈夫か! 綾波! 綾波!」「自分には他に何もないって そんなこと言うなよ。別れ際にさよならなんて 悲しいこと言うなよ」
は心の叫びだに他ならない。

 

心の叫びがレイに伝わったってことだろう。レイも素直なんだと思うよ。頭で分かっていなくても、心を受けとるスペースがあるってことだから。

 

人の心理は面白い。

 

無意識と意識、心と思考、感じることと考えること、それぞれ両方持ち合わせている。

 

無意識と意識、無意識はもちろん意識には上がらない。

 

心と思考、子どもの頃は、誰もが心が優位だっただろう。

 

しかし大多数の人は、大人になるにしたがって思考が優位になる。

 

感じることと考えること、これも子どもの頃は、誰もが感じることが優位だっただろう。これも大多数の人は、大人になるにしたがって考えることが優位になる。

 

なぜかって?それは育った環境でそれぞれ学ぶから。

 

人それぞれ千差万別だか、一概に一言では言い切れないけど、生きていくためには、心で感じて自分の心を大切にするより、頭で思考をめぐらし考えてから行動したほうがいいらしい、ってことを学ぶことのほうが多い。

 

大多数の人はそうやって生きているし、自分の一番身近にいた親もご他聞に漏れず、そうやって生きていたのを自分自身の目で見て育つわけだから。

 

いやいやそんなことはない!自分は心で感じてる!と思っている人もいると思うけど・・・。

 

もし、シンジのことをダメダメだと思っているなら、それは心で感じていない可能性が大きい。シンジに対してダメダメだと思うのは、それはダメだ、という価値判断を下しているってことになる。

 

価値判断というの、良い悪い、正しい間違っている、ノーマルマイノリティ、等の判断。ジャッジを下している、っていうことになる。

 

心が通じるひと言添える作法―――できる人はたった3行で想いを伝える

 

ダイレクトに心で感じるときは、ただ感じるだけだからそこに価値判断やジャッジはない

 

心は価値判断を下さないし、ジャッジもしない。だって感じるだけなんだから。

 

心で感じることが分かっていれば、シンジの心情は共感出来るし、ダメダメなんて思えないだろう。

 

頭で考え思考や理屈で理解しようとしても、理解するのはなかなか難しいかもしれない。


どれが良くてどれが悪い、ってことを言ってるんのではない。

 

結局は分離の世界だから、どちらかひとつにはならない。選択しているのは自分自身なんだから、究極はどちらを体験したいか、ってことになるんだろう。

 

心が素直に感じるとき、それをそのまま素直に表現すれば、相手にスペースがあれば伝わる。何かが分からなくても“感じ”として伝わるんだ。

 

レイは感情が分からないけど、頭で考えたり思考や理屈で納得しようとすることもない。その分、心に入るスペースがあったのだろう。

 

感情心理学ハンドブック

 

もし価値判断やジャッジをしているなら、そこに思考が影響している可能性がおおきい

 

逆に、いつも思考優位で心にスペースがなければ 心の琴線に触れることはあまりないかもしれない。

 

思考があまりに優位になると、頭で考えたり思ったことが心で感じたことだと思い込むようになる。

 

現実社会で生きていく上では、心で感じてばかりいると傷つくことも多くなるから、傷つかないように思考や理屈でうまく対処する方法を学んでしまうから。

 

ただし、怒りを感じたときにその怒りを自分ひとりで感じるのと、人にぶつけるのは別物だ。

 

怒りを感じるのと人にぶつけるのはイコールではない。怒りを発散させたければ、お茶碗を割るなり新聞を破くなり、発散の仕方はいくらでもある。

 

感じる、というのは、あくまでも自分自身が感じることであって、何でもかんでも人に伝える必要はない。

 

心という言葉は抽象的だしいろいろな意味に捉えることが出来る。

 

Wikipediaによれば、その意味には知識までも含まれる。そんなことから余計に分かりにくいのかもしれない。目に見えるものでもない。


感情にも心の感情と脳内感情、意志にも腹の底から決めたものと思考で決めたもの、思いやりさえ見方によっては傲慢になる。

 

ミサトがシンジを引き取ったようにね。全てのことには表だけではない逆の見方だ出来るってことになる。全てはコインの裏表だ。

心(こころ)は非常に多義的・抽象的な概念であり文脈に応じて多様な意味をもつ言葉であり、人間(や生き物)の精神的な作用や、それのもとになるものなどを指し、感情、意志、知識、思いやり、情などを含みつつ指している。心ーWikipedia

感情と思考の科学事典