カヲルの言葉は人生訓?!

 

エヴァンゲリヲン新劇場版:Qより

 

カヲルとシンジ ピアノ連弾シーン

 

 

カヲルとシンジの会話をちょっと変えてみたら人生訓のようになった

 

シンジ
「どうしたら もっとうまく弾けるのかな?」

カヲル
「うまく弾く必要はないよ、ただ気持ちのいい音を出せばいい」

シンジ
「じゃあ もっといい音を出したいんだけど どうすればいい?」

カヲル
「反復練習さ 同じ事を何度も繰り返す
自分が"いいなって感じられるまでね それしかない」


カヲルとシンジが寝そべって星を見ているシーンでカヲルがシンジに
「変化を求めず 虚無と無慈悲な深淵の世界を好む」


「君らしいよ」とも言っている
「僕は君と会うために生まれてきたんだね」

 

シンジとカヲルの会話をちょっと変えてみた

「どうしたらもっとうまく生きられるかな?」

「うまく生きる必要はないよ、ただ自分が満足だと思えることをすればいい」

「じゃあ もっと満足できるようにしたいんだけど どうすればいい?」

「反復練習さ 同じことを何度も繰り返す
自分が満足できたなって感じられるまでね それしかない」

 

人生で満足することなんて そうそうないと思うかもしれないが、イヤなことでも イヤだイヤだと思いながらやり続けると、どこかでもういいやって気持ちになったりする。

 

これはイヤなことをやり続けて、もうお腹いっぱいだからこれ以上食べられない状態と一緒で、イヤなことに満足したことになる。

 

もちろんどんな状況にも当てはまるとは一概には言えないが

 

おかしなもので、イヤなことでもそこまでやり続けると どうでもよくなって、これまでみたいにイヤなことに意識が集中しなくなったりして、まあいいや、こんなものかもしれないと思えたり、環境を変えようと思えたりする。

 

あなたはあなたが使っている言葉でできている Unfu*k Yourself

 

ココロは感じ切って お腹いっぱいにならないと満足できない

 

小さい子どもがひとつの遊びに夢中になると、満足するまで遊び続ける。

 

それは1時間かもしれないし、子どもによっては何日も飽きずに遊び続けることもある。これは個人差で満足の度合いが人によって違うからに他ならない。

 

ピアノの練習と一緒で、世界的なピアニストになろうと思っていれば、ちょっとうまくピアノが弾けたところで全然満足しないだろうけど、素人がピアノが少しでも弾けたらいいなぁと思っているなら、多少の練習でも満足できるかもしれない。

 

この満足は、やりたいと思っていることだけにはとどまらない。

 

例えば誰かが亡くなったとき、その人が親しければ親しいほど悲しみは大きいだろうし、そんな時に「元気出しなよ」なんて言われても元気など出るわけもない。

 

悲しみも大きければ大きいほど、癒されるのにも時間がかかる。

 

自分の心に占めていた 亡くなった人の割合の分だけ 充分に悲しまないと、なかなか癒されることはない。それは何か月かもしれないし、何年もかかるかもしれない。

 

人の心は不思議なもので、感じ切らないと満足できない。

 

満足できないと次には進めないで、無意識のうちに満足出来るようなような行動をとってしまう。

 

生きるために大切なこと

 

カヲルは本当にシンジと同じ年ごろなのか?

 

カヲルの言葉

「変化を求めず 虚無と無慈悲な深淵の世界を好む」

「君らしいよ」

「僕は君と会うために生まれてきたんだね」

 

カヲルはシンジのことをよくわかっている。

 

レイのように感情がわからないわけではなさそうだし、それでいて感情を表に出すことも流されることもない。かといってシンジを否定することはない。

 

どんだけ大人?肉体年齢と精神年齢は違うということだろうか。

 

カヲルのシンジに対してのセリフは、いちいち的を射ているように見えるし、TVシリーズのカヲルは
「生と死は等価値なんだ。僕にとってはね」と言っている。

 

「Q」でのカヲルはTVシリーズよりも、死に対してさらっとしている。

 

カヲルが世界を何度もやり直してループしているとしたら、そしてその記憶が消えることなくを蓄積されていたとしたら、その年頃の言葉とは思えない会話も納得できる。

 

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