シンジもケンスケも 自分の置かれた状況には抗えない

 

エヴァンゲリオン TVシリーズ

第四話「雨、逃げ出した後」より

 

夜、ケンスケがひとりで軍事ごっこをしているときシンジを見かけ声をかける。

 

 

抗えない力

 

ケンスケ
「碇」

シンジはこんなところにケンスケに声をかけられて少し驚いたようにケンスケを見る。
ケンスケのテントの前で 飯ごうでご飯を炊きながら

ケンスケ
「反省してた。妹に説教されららしいよ。私たちを救ってくれたのはあのロボットなのよ、って。小学校低学年に説教されるなっての ホント、なあ?」

そんなケンスケの言葉にも反応を示すことがないシンジ
そんなシンジを見て ケンスケはなにげなく話題を変える。

ケンスケ
「夜はいいよな あのうるさいせみが鳴かないから。小さい頃は静かでよかったけど毎年増えてる」

シンジは心ここにあらずな感じで答える。
シンジ 
「生態系が戻ってるってミサトさんが言ってた」

ケンスケ
「ふ~ん、ミサトさんね。まったくうらやましいよ、あんなきれいなお姉さんと一緒に住んでて エヴァンゲリオンを操縦できて、あ~一度でいいから 思いのままにエヴァンゲリオンを操ってみたい」

シンジ 
「やめた方がいいよ、お母さんが心配するから」

その言葉にケンスケはハッとする。
ケンスケ
「それなら大丈夫、オレ そういうのいないから」

この言葉に今度はシンジがハッとする。
ケンスケ
「碇と一緒だよ」

朝までケンスケと一緒にいたシンジにネルフの保安部がやってくる。
保安部 
「碇 シンジ君だね」

シンジ 
「はい」

保安部 
「ネルフ保安諜報部の者だ、保安条例第8項の適用により君を本部まで連行する、いいね」

シンジ 
「はい」
このときケンスケは下をむいたまま何もできずにいた。

学校でトウジに
トウジ 
「そんでお前 だまって見てただけやちゅうんかい」

ケンスケ
「んなこと言ったて 向うはネルフの保安諜報部、プロなんだよ」

トウジ 
「それがどないしたんや、お前それでもマタンキついとんのか!」

ケンスケ
「勝てないケンカするヤツはバカなの。マタンキは関係ないの」

 

ケンスケにはお母さんがいなかったんだね。
お互いにハッとして 2人とも母親がいないという共通点があることに通じるものがあるのかもしれない。


ケンスケもシンジにいろいろ突っ込んで聞かないところがいい。そんなケンスケに シンジも安心感があったのかもしれない。一緒にいて何もも言わなくても安心できるっていい。

 

朝になり保安諜報部が来るけど 事務的だ。まあ相手は仕事だからこんなものか。シンジは返事をして素直に従う。まあ、逆らう気力もないだろうけど。


シンジにしてみればエヴァに乗ることで たくさんの葛藤がある。それに耐え切れず逃げ出したけど 逃げ切れるわけがないことも分かってる。

 

自分の心も現実もどうすることも出来ず 従うしかないってこともある。その姿を見ているケンスケは下を向いたままだ。ケンスケにシンジを助ける気がなかったとは思わないけど 強面の保安諜報部の人たちを目の前にしたら何も出来なくても仕方ないか・・・長いものには巻かれろ、ってやつかね。

 

ケンスケにしても 逆らったところでどうにもならないことを分かっているから。トウジはアツイからケンスケに対して「そんでお前 だまって見てただけやちゅうんかい」って言うけど実際に逆らったとしても ちょちょいとやられて終わりだろう。

 
トウジにしてみたら諦めたくない思いが強かったんだろう。気持ちはあるのに 何も出来ないってのは虚しい。

生きづらいこの世界で、アメリカ文学を読もう: カポーティ、ギンズバーグからメルヴィル、ディキンスンまで

 

子どもは 環境には抗えない

 

大人になっても抗えないものってあるから 14歳じゃ無理もない。社会や組織の中にいたら 自分の思うように出来ないことはたくさんあるから。社会のせいって言ってしまえばそれまでだけど それって家庭の中でもある。

 

抗えない力というよりは 環境って言った方が分かりやすいかな。シンジにしても 母親が亡くなることなんて望んでいないのに 母親は亡くなってしまった。


母親がなくなった寂しさを父親に求めたけど ゲンドウはシンジの寂しさを埋めてくれるどころか シンジを預けて自分は出て行ってしまう。子どものシンジにはどうしようもない。

 

その子が元々持っている性格にもよると思うけど 小さい子どもにとったら 父親に捨てられたと思ってしまうのは 仕方のないことだ。子どもにしてみれば 仕事だからと言われても納得出来るはずもない。

 

シンジの家庭環境とは違っても 普通の家庭でも同じようなことが言える。生まれてすぐの子どもは自分ひとりではなにも出来ないし 生きてはいけない。生まれた環境がどんな環境であろうと 子ども自身ではどうすることも出来ない。

 

どんな環境であろうとそこで生きていくしかない。子どもはそ環境の中で生きる術を学ぶ。その環境は家庭によって違うし 国や文化が違えばなおさらだ。

 

育つ環境で親が放任主義なら 子どもはやりたい放題になるかもしれないし、親が過干渉なら 子どもは親の言うことを聞くお人形になるかもしれない。

 

過干渉の親の場合 子どもの気持ちは無視される。気持ちにより添うって意味さえ分からないかもしれない。最初は 子どもも気持ちを分かってもらえる様に泣いたりわめいたりするかもしれないけど それが通用しないとわかると諦めてしまう。

 

通用しないどころか 過干渉の親からは否定されていまう。生きていくためには諦めるしかなくなる。自分の気持ちは表現してはいけない、と学ぶんでしまう。


これが長く続けば 気持ちを感じているのは辛くて耐えられなくなるから、どこかで気持ちを封印する。心で感じることを封印することになったりする。

 

人は心で感じることと 頭で考えることが出来るから、心で感じることを封印して 頭で考えていることを心で感じているように 錯覚して思い込むことが出来る。

 

思春期になって 親に反発出来ればいいけど 反発出来なければ 親のいうことを聞くお人形の出来上がりになる。こうなると大人になってから生き辛さを感じるようになったりする。

 

辛い心をガッツリ封印してしまえば そんなこともないのかもしれないけど、本当は心も感じているのに 無理矢理封印しているからどこかで歪みが出できたりする。

機能不全家族 心が折れそうな人たちへ……

 

生きづらいのには理由がある

 

大人になって生きづらさを感じれば 俗に言うAC(アダルトチルドレン)だと気付くかもしれない。ACとは 機能不全家庭で育ったことにより、成人してもなお内心的なトラウマを持つ、という考え方。一概にACと言っても人それぞれで 傷の深さも浅いものから深いものまでいろいろだ。

 

大人になるまでの長い時間を機能不全家族の中で過ごせば 大人になってからの生きづらさや苦しい思いは 消えるどころか増すばかりになる。


それらを本当に癒そうと思ったら 今まで生きてきた時間と同じくらいの時間が必要になる。症状によってはそれ以上かかる。

 

簡単に あたし~ACだったけどぉ頑張って克服した~ だからあなたも頑張りなよ~、と言う人を見かけることがあるけど、本当に深い傷を抱えているなら 3年や5年で癒されるものではない。


短期間で癒されたと言っている人は なりたがりか 表面の薄いところをなでただけで 心の奥まで突っ込んでいることはない。

 

簡単に癒されたという人は 表面の薄いところしか知らないから 深い傷を持っている人にも 平気でアドバイスをしてきたりする。本当に傷を抱えている人にとっとったら たまったものじゃない。傷口に塩を塗られるようなものになる。


深い傷を持っている人は そんなに簡単なものじゃないということを 感覚的に分かっている。

親毒 なぜこんなに生きづらいのか